Tottoのプロフィール。
『Totto 料理担当』のプロフィール
潮平里志(しおひらさとし)
1984年10月9日、
沖縄県うるま市出身、末っ子長男のB型。
幼い頃から料理に関する興味があり、高校は調理科のあるところへ入学を希望するも、親の説得によりひとまずは普通高校へ。
進学後、変わらず冷めることない料理熱。部活の傍らに自宅でご飯をつくったりお菓子を作ることもしばしば。
高校卒業を機に上京、調理学校へ入学、そしてアルバイト→ライヴハウスに夢中の日々。
学生生活を経て、都内の某有名レストランにコック希望で入店。
が、しかし、厳しい現実に3ヶ月で心折れる。
その後、紹介で務めることになったレストランで計5年勤め、元々考えていたイタリア修行を具体的に意識するようになる。
そして26歳の時、イタリア修行の資金を貯める為に出稼ぎを決意。
しばし、料理の世界から離れ、愛知は豊橋にあるTOYOTAの下請け工場で2年半働き資金を用意。
29歳で渡伊。
はじめの1年半をフィレンツェで過ごし2つのお店を経験、伝統的なトスカーナ料理を学ぶ。
当時は全くイタリア語が話せない&何のツテもない状態ではあったが、どうにかなるもんである。
そこから、リストランテでの仕事が見つかり北イタリアveneto州へ拠点を移す。
新たな職場での出会いに恵まれ、濃い時間が流れる。1年半が過ぎた頃、勤めていたリストランテのオーナーの新店舗計画に、シェフのポジションを任命されオステリアの立ち上げから任されることに。
オープンから一年、『osteria d’Italia guida 2018』に掲載される。
4年半のイタリア生活を経て2018年6月に本帰国。
高校卒業と共に飛び出した沖縄での生活は約15年ぶり、
様変わりした故郷でもまた良い出会いに恵まれた。
2018年7月、RestaurantARDORに入社。
試行錯誤の日々を、仲間と駆け抜ける。
明るい未来が見えてきた矢先にも関わらず、コロナの影響は大きかった。
2020年7月、惜しまれながらARDOR閉店。
現在は、イタリアへ渡る前から思い描いていた料理人の働き方と人生の過ごし方を実践すべく、フリーランスへ転向。
そして2022年にレストラン開業を予定中。
Tottoでは主に「料理担当」。
夢は、【沖縄を世界中から「食」を求めて旅する場所にすること。】
その為には、沖縄が沖縄らしくある必要がある、
強く意識を持ち攻めなければいけない、
僕らは変わる必要がある、
考える必要がある、
行動する必要がある、
共有する必要がある、
そして、
ここ(okinawa )にはそのチャンスがある、
と強く感じている。
『Totto 表現担当』のプロフィール
潮平ちひろ(しおひらちひろ)
1984年生まれ、
沖縄県那覇市出身、三人兄妹のまんなかでA型。
高校卒業後、心理カウンセラーを目指すべく県内の大学に進学するもやっぱり違うことにすぐに気づいてしまい殆ど通学せず。
中退後は、そもそも洋服が好きだったことと華やかなアパレル業界への憧れもありその世界へ。
20歳の誕生日を迎えてすぐに上京、最初のアルバイト先であるアパレル会社にそのまま就職し6年半勤務。
その間、料理人である夫との出会いをきっかけに、共にイタリア行くことを決意し、27歳の頃退社。
留学資金を用意する為、2年間は息を止めるような生活(工場での出稼ぎ)を続け、29歳の時に夫婦でようやくイタリアへ渡る。
最初の2年をフィレンツェで過ごす。
パニーノ屋でバイトする傍ら、ヒマさえあれば、蚤の市や骨董屋をまわりながら古物を探すことに熱中する。
そこから、北イタリアへ先に移った夫の元へと拠点をVeneto州に移す。
イタリア生活もだいぶ慣れてきたとはいえまだ語学に不安が残るなか、リストランテでのサービスのバイトを始める。
そんなこんなでしばらくして夫がシェフを任されることになった新店舗のオステリアで、コックとして働く生活を開始。
60席程のキャパのお店のキッチン内は、日本人シェフとそれをサポートするコック未経験の嫁、そして皿洗いはイタリア人のおじさんという形態からスタート。
オープンから半年もしないうちに働いていたスタッフが全員辞め、共同経営者だったオーナー達も代わり、当初から残っていたメンバーは日本人夫婦だけに。その後もスタッフの入れ替わりやお店の営業方針や経営が不安定な状況もあり。
この出来事が「良いお店ってなんだろう」」ということを改めて考える大きなきっかけとなった。
その後、2018年にそろそろ日本へ帰国をと検討していた矢先に妊娠が発覚、帰国後すぐに出産。
現在は1児の母をしながら、Tottoでは「表現担当」として、料理以外の部分で「つくる」「伝える」という分野でTotto運営に奮闘中。