沖縄/キッチンカー『kinner’s(キナーズ)』さんとの記録と『喜納農場』のこと。
先日、無事に初出店をおえた『kinner’s』さん。
わたし達Tottoは、こんな感じでkinner’さんをお手伝いさせてもらいました〜
っていう、今回はそんなお話です。
(関連記事) キッチンカー『kinner’s(キナーズ)』さんの初出店をお手伝いしました。
キッチンカー『kinner’s(キナーズ)』さんとこんな感じでお仕事させていただきました。
前回のブログ記事でもふれましたが、当初からkinner’sさんは予め決めていたことがありました。
- 「地産地消を創造する」という意味が込められている『ご地創サンド』を提供したい。
- ご地創サンドにつかう材料と素材は繋がりのある方に既に依頼している。
さぁ。
コンセプトもできている、
作る商品もほぼイメージはある、
ただ、その商品を完成させる為に試作はしてきたものの、どうしてもひとつにまとまらずに迷っている、という相談でした。さらに、kinner’sさんの店長のしのぶさん以外は、忍さんもケンタロウさんも、マーコおばちゃんもほぼ飲食未経験でのスタートということ。
そこでわたし達に依頼されたのが、メニュー監修、キッチンカーでの営業のオペレーション、つまりはキッチンカー『kinner’s』の立ち上げのお手伝いなど、
要は飲食業のコンサルです。
この日は、イベント(初出店)直前で、キッチンスタジオを借りて仕込みをしたのですが、ここに至るまでに打ち合わせと試作を重ねてきました。
kinner’sさんが集めてきた素材は言うまでもなくこだわりはもちろんで、
パンは無添加パン屋「アイプラス」さん、
焼豚は「我那覇畜産」さん
ヤソウカフェさんからの助言をつくった発酵野菜など。
既に完成されたそれぞれのパーツをベースに、そこからどういう風にトータル的な「美味しい!」に仕上げるかということ、まずここが一番の優先事項でした。
2種類の『ご地創サンド』を完成させる為には、予め決まっている素材に加え、シンプルな野菜を薫製したりドライにして更にプラスし、全体的な味と食感と香りのバランスがまとまるように仕上げています。
それから、ドリンクメニューとサイドメニューも提案させてもらいました。
写真は、時期のシークワサーをつかったジンジャーシロップをつくっているところです。
以下、もろもろ仕込み中の様子。
全体メニューの完成作業と並行して、販売価格も計算しないと。
単純なことではありますが、商売を行う上でやはり利益がでるようにしなければいけないというのもかなり重要なポイント。
「美味しさのクオリティ」と「価格バランス」。
あとは、キッチンカーでの営業になるので、作業がしやすいような動線を考えたり、商品を仕上げるまでの作業スピードの効率がよくなるような備品選びと配置も決めて、事前にリハーサルしました。
予測できるエラーは、そこを回避できるようにもちろん打ち合わせもしていたのですが…。
でも、実際はやはり当日の現場に入ってみないと分からないことも正直多かったです。
わたし達Tottoもキッチンカーで動いた経験がなかったので、まさかイベント開始直後から電源のトラブルが起こるなんて予想していなかったのです。
そんな中、なんとか当日は目標であった「完売」を達成することはできたので万々歳ではありますが、課題を把握して次の教訓にしなければなぁと。
それと今回のお手伝いは、最初にもふれましたが、「コンサル」という形で関わらせていただきました。
イベント当日は初回ということもあり、料理担当のSが現場のキッチンカーに入りプレーヤーとして動きましたが、今後は仕込みから営業まで全てkinner’sさんが自分たちで自信をもってやってもらうということが、目下の目標です。
その為には、レシピの資料化はもちろん全体のオペレーション化も含めて、サポートさせていただくつもりです。
『kinner’s(キナーズ)』と『喜納農場』のこと。
そもそもkinner’さんとの出会いは、Tottoの料理担当であるSが『レストラン アルドール』で勤めていたことからはじまりました。Kinner’sの代表である忍さんの経営されている喜納農場の紅あぐーを、アルドールで仕入れさせてもらっていたからです。
喜納農場は、忍さんのおじいさまが立ち上げをされて、それからおとうさま、そして現在は3代めの忍さんに至り、65年以上も続く養豚農家です。
さて。
ここまでこの記事を読んでいただいた方は、『kinner’sのご地創サンド』にどうして喜納農場の豚が使われてないのかが不思議に思うかもしれません。
それは、2020年1月に沖縄県内で発生が確認された豚熱(CFS)によることが大きいのです。
豚熱は、歴史ある養豚農家にも容赦なく襲いかかりました。
喜納農場は手塩にかけて育ててきた3012頭もの殺処分を余儀なくされたのです。
あれから半年が過ぎ(時間ではくくれない苦しみだったと思う)、現在は43頭の母親を育てている喜納農場ですが、新たに出荷できるにはまだ時間がかかります。
豚熱という大きな痛みを経験された忍さん達はそのことを通じて、あることを再認識されたそうです。
それは、
「地元のお肉や野菜を地元の人に食べてもらうことが 地元農家の生き残れる道だということ。」
沖縄に限らずですが、今のご時世、流通の発達によりスーパーには県外のモノがずらりと並びます。
それらは確かに美味しくてあるいはもっと安いかもしれません。
でも、このまま地元の人が県外の作物を消費続けることが極端に増えていくと、沖縄の生産者の未来はどうなるのか…
作物が売れない、
農家が稼げない&生活出来ない、
その事業を継ぎたいという後継者が出来ない、
…。
現段階で、kinner’sさんが喜納農場の豚を取り扱うことが出来ないにも関わらず、忍さんがキッチンカーを走らせた理由には、豚熱の経験を通じて体感したことがきっかけとなり、「kinner’sが地元の生産者と消費者を繋げたい」というそんな想いからきています。
そして、ゆくゆくは喜納農場の豚を『ご地創サンド』の素材として用いることが出来ることもまた、農場再建への光とされています。
わたし達Tottoは、忍さん達が負ったその痛みや苦しみを共有することはできないけど、熱意や心に共鳴したいと思っています。
長くなりました、
最後になりますが、今回はこのような形でお手伝いさせてもらえたことにすごく感謝しています。
kinner’sさん、本当にありがとうございました。
追記
下の写真は、沖縄タイムス内に掲載されていた忍さんの最終コラムです。
「豚熱を自ら公表する農場なんてない!
やめろ!」
まわりからさんざん止められたそうです。
それは彼女自身ももちろん理解していたことでしょうし、お肉の卸先や販売会社へ迷惑がかかってしまう可能性だって想定していたはずです。
それでも彼女は、先方へ伝えた上でこのことをコラムで公表するという決断をしました。
覚悟がある人間って生き様が違うなぁと思うのです。
そして彼女が紡ぐこのメッセージは、わたしたちが沖縄で暮らし生きることの意味についてもまた考えさせてくれます。